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第3課
【内容1・その1】
自然を楽しむ日本の文化、花見。新しい年度が始まりました。新たな門出を迎える人、また、春の陽気とともに、気分をリフレッシュさせる人など、それぞれの春を迎えているでしょう。今回は、桜の木の下でお酒を飲みながら、どんちゃん騒ぎをするという、日本の花見文化について、お話ししていきましょう。
花の鑑賞、花の下での飲食、大勢で楽しみ騒ぐ群衆の三つの要素を合わせ持つ、日本独特の文化である花見は、安土桃山時代、秀吉の吉野、醍醐の豪華絢爛な宴を頂点として、広く行われました。秀吉は文禄3年(1594年)2月25日、京を出発して、文禄3年2月27日、吉野山に到着。それから5日間、歌を詠み、能を舞い、吉野山の桜を楽しんだと言われています。
秀吉は醍醐寺の三宝院の景観をことのほか愛し、春になると、この地で観桜の宴を開きました。そのため、秀吉が近隣諸国の王(※諸国の大名)に、山城、河内、大和から取り寄せた桜700本を移植したと言われています。現在も醍醐寺に、その桜は見事に花を咲かせているんですよ。
庶民が花見に熱狂するようになったのは江戸時代からで、それまでは上流社会だけの文化でした。江戸の桜は、ほとんど奈良県の吉野山から移植したもので、[徳川(とくがわ)]家康(いえやす)、秀忠(ひでただ)、家光(いえみつ)など、花好きの将軍によって、植栽が盛んに行われ、参勤交代で江戸は品種交流の場ともなり、数々の名所もでき、花見は一般化していきました。
花見といえば、主に桜となり、山野の花見は桜狩と称して、時代が降(くだ)るにつれ、花見は公家から武家、近世には都市住民のものとなり、今日に至っています。 【その2】
なぜ、日本人は春になると、桜の下でお花見をし、お酒を飲み、ごちそうを食べたくなるのでしょうか。
古代日本人は、山の神様と言われるサ神樣にいろいろ祈願しますのに、ただでは申し訳ありませんから、まず、種々(くさぐさ/シュシュ)のお供え物をしました。その、最も欠かせない重要なものが酒です。神前に捧げる意味があります。サカナ(魚)やサケ菜(山のもの、野のもの)も同じ、サカナ(肴)、サ神様に、お供えするものの意味です。神様へのお供え物を捧げ物と言いますが、これはサ神が下げ渡すものというのが原意でした。
現在、「捧げる」という動詞は、下から上に向かって、差し上げる感じがしますが、人間たちが神にいくらお供え物をあげたところで、神は気持ちだけを受け取って、実際には飲食しないで、結局、人々に下げてしまう形になります。人々はそれを知っていて、お供え物を神にあげている中に、いつか原意は逆転してしまったのです。
「クラ」とは古語で、神霊がより鎮める場を意味した「座(クラ)」と伝えられています。イワクラやタカミクラなどの例もあるんですよ。
もうお分かりだと思います。サ神様の依る桜の木の下で、サ神樣に酒や魚を捧げて、お下がりをいただくわけなんですね。これが日本の花見文化の始まりです。
現在では、全国各地に花見ツアーも開催されていますから、桜名所に参加するのもいいかもしれません。また、今年の桜は、3月下旬から4月上旬に開花すると予測されています。皆さんも桜の木の下でお酒を飲みながら、日本の花見を体験されてみてはいかがでしょうか。今回は花見についてお話ししました。
【内容2・その1】
日本のバレンタインデー。2月14日は、バレンタインデーですね。世界中のあちこちで、愛が語られる日です。日本のバレンタインデーのキーワードは、チョコレート。いったいなぜだか、ご存知ですか。今回は、日本のバレンタインデーについて、お話ししていきましょう。
そもそも、バレンタインデーの起源は、ローマ時代のセント・ヴァレンタインという聖者にあります。毎年、セント・ヴァレンタインが亡くなった2月14日には、愛する男女が寄り添い、彼の死を悼むというところから、自分の愛を届ける日になりまし
た。愛の印の交換は、現在でも世界各地で行われていますが、お互いに贈り物をしたり、グリーティングカードを贈ったりするのが普通です。
しかし、日本ではチョコレートをプレゼントするのが一般的なんです。しかも、女性から男性へ贈るという風習になっているんです。なぜ、このような文化ができあがったのでしょうか。
日本のバレンタインデーにチョコレートが登場したのは、1936年、兵庫県にあるチョコレート会社がきっかけです。アメリカやヨーロッパで浸透していたバレンタインデーにちなんで、バレンタインデーにはチョコレートを贈りましょうという広告を英字新聞に掲載したのが始まりなんです。
1956年には、別のチョコレート会社が、バレンタインデーにはチョコレートを贈りましょうという広告を出しました。 しかし、このころはまだ、女性から男性へチョコレートをあげるという話ではなく、愛する人やお友達、家族にプレゼントしましょうというコンセプトのもとでした。
1958年、またまた別のチョコレート会社が、バレンタインデーの話を聞きつけ、東京の百貨店でキャンペーンを行いましたが、この時、売れたチョコレートはたった5個だけ。
しかし、徐々に各製菓会社がバレンタイン商戦に参入し、デパートなども広告宣伝も盛んに行うようになったのですが、それ以上に、バレンタインチョコレートの文化が定着したのは、日本の女性が強くなったという背景もあるんです。 1960年代、1970年代は、日本の女性が社会に大きく進出し始めた時代でした。それまでの日本女性というのは、好きな男性に自分から告白をするという習慣があまりありませんでしたが、社会に進出し、意見を言える場所が増えた女性にとって、愛の告白も当然だという気持ちが芽生え始めた時期でもあるんです。 【その2】
そこで、誰からでも、誰にでも贈ることができたバレンタインチョコレートを、この日だけは、女性から男性に愛を告白する日だというイメージを付け、女性の購買意欲を促したのではないかと言われています。女性から男性にチョコレートを贈るというバレンタインデーの文化は、1970年代半ばに火がつき、1980年代には完全に定着しました。ですから、意外と歴史の浅い文化だと言えますね。
短い日本のバレンタインデーの文化の中でも、義理チョコ、本命チョコといった、バレンタインデーならではの言葉が誕生しています。会社や学校などで、お友達や上司に配るチョコレートのことを義理チョコ、好きな人に贈るものを本命チョコと言って区別しているんですね。家族の間にも義理チョコは存在し、母親や娘から義理チョコを受け取る男性もたくさんいるんですよ。もちろん、大人だけの文化でなく、小学生の間でもバレンタインデーの文化は広がっています。意中の女子学生からチョコレートをもらえるかどうか、悩みすぎる生徒が増えるため、チョコレートを禁止する学校が増えてきているようです。
しかし、待ちかねているのは男の子たちだけではありません。その母親たちも、自分の息子が人気者なのかどうか、この日ばかりは気が気でならないのだそうです。
百貨店はもちろんのこと、スーパーやコンビニエンスストア、駅のホームにまで、様々な種類のチョコレートが並ぶバレンタインデー。
また、日本国内の年間販売量のおよそ60%が、バレンタインデーの時期によるものなんですよ。
皆さんも、愛の印にチョコレートをプレゼントしてみるのはいかがでしょうか。今回は日本のバレンタインデーについて、お話ししました。
【内容3・その1】
芸者と舞妓。日本には芸者や舞妓と呼ばれる女性がいます。最近では、映画、『芸者さゆり』などでも取り上げられるほど、注目されていますよね。今回は芸者と舞妓について、お話しいたしましょう。
芸者や舞妓と呼ばれる女性が登場し始めたのは、およそ300年前、京都の祇園が始まりでした。初めは、お寺や神社の参拝客、花見客の休憩所としてできた茶店や水茶屋で、お茶や団子を出す仕事をしていました。
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